本当のおもてなし
- vivstudio
- 7月14日
- 読了時間: 3分
フランス・ロワール地方の、それはそれはすごい田舎のホテルレストランで働いていた時、プロンジュ(洗い場担当)として働いていた、リディという女性がいました。
彼女は女性としては珍しく、鼻の下に黒い毛(ひげ?)がしっかりと生えていていたので、イタズラ好きで辛口のフランス人たちは陰で 「マダム・ムスタッシュ(ひげ夫人)」と呼んでいました。ご主人が体を壊されて、小さな息子さんが1人いて、彼女が一家の生活を支えているようでした。フランス人としては珍しく口数の少ない、優しい笑顔の女性でした。

そんな彼女がある休日、我々を自宅に招待してくれました。
広大な庭に小川が流れている、可愛らしい一軒家。その脇には倉庫があり、彼女のお手製のたくさんの食材を加工してびん詰めにされたものが、ずらりと整然と並べられていました。フランスの地方ということもあってか、日本の感覚の「生活がちょっと大変な感じ」とは程遠い、豊かな雰囲気を感じたものです。
家の中や倉庫や庭を案内してもらっていたら、ご主人が小川で、アニメ『ムーミン』のスナフキンのようにゆったりと釣りをしていて、釣れた魚を誇らしげに我々に見せてくれました。
「ブラボー!」と手をたたいて、ありったけの賛辞を送る一方で、「ねえ、何か嫌な予感がしない?」と私。「たぶん、そういうことだと思うよ」とシェフ金子。
食事の時間になり、前菜は、マダム・ムスタッシュ自慢の加工保存したいんげんやらピクルスやらの野菜。食べ終わると、ジャーン!と恭しく供されたのは、先程ご主人が釣っていた巨大な鯉を、まるごとポシェしたもの(おそらくクールブイヨンで煮たもの)でした。我々の嫌な予感は、見事に的中してしまいました。
正直、びん詰め加工された野菜たちも、どう贔屓目に見てもグロテスクという言葉がぴったりの鯉も、決しておいしいものではありませんでした。
こういう時、日本語の通じない異国の地にいるのってなかなか便利です。にこにこしながら、「泥臭くて食べられたもんじゃないね」「日本人の魚に対する意識の水準がいかに高いかわかるよ。鯉こく(注:鯉を味噌で煮込んだ東日本の郷土料理)は偉大だ」とか、満足気な顔をして実際は正反対のことを言う。身につけなくていい術を修得してしまいました。
悟られないように話す最大のコツは、会話の中に横文字を入れないことです。後の人生に全く役に立たない、高度(?)な技術です。
でも、何故だろう? 気持ちがとても温かい。
変な言い方ですが、彼女たちには「お金がないからとても人を家に呼べない」という考えはありません。ないならないなりに精一杯人をもてなす豊かさを、彼女たちからしみじみと学ばせてもらいました。
家族3人とも笑顔が多くて、とても幸せそう。美味しいものには出逢えなかったけれど、我々もとても満ち足りた気持ちになりました。
かつて東京オリンピックで「お・も・て・な・し」という言葉が流行りました。その言葉を聞くたびに、このマダム・ムスタッシュの顔が思い浮かぶのです。本当の「おもてなし」を見せてもらった思いです。
マダム・ムスタッシュは、今もお元気だろうか? あの豊かなひげと微笑みも健在なんだろうか? とてもとても懐かしいです。






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