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沼津産いろいろ柑橘のジュレ

私の故郷は静岡県沼津市。新鮮な魚で有名な沼津ですが、実は柑橘業も盛んです。私はその「みかん屋」の娘で、三姉妹の次女として生まれ育ちました。我が故郷・沼津市西浦地区は、ほぼすべての家が柑橘業に携わっていて、秋から冬にかけてが繁忙期となります。


この時期になると、どの家でも子どもたちまで駆り出されてみかん採りをします。私はこの農作業が大嫌いで、「ゴハン部隊」と称して家族やお手伝いの方たちのためのお昼ごはん作り担当になり、みかん採りから逃げ回っていました。


「全く、チーコ(私です)は野良仕事がきりゃー(嫌い)でどうしよもにゃー(どうしようもない)」と家族や親戚からいつも言われていました。典型的な伊豆コトバです。


我々がフランスの修業から帰ってきたとき、フランスでの食べ歩きがたたって完全に素寒貧(サンルスー)になっておりました。ちょうど秋口になっていたので、シェフ金子(そのときは無職金子)とともに、上京するための軍資金稼ぎに、セゾニエ(季節労働者)として農作業を手伝うことになりました。我ながら全く身勝手な、ドラ息子ならぬドラ娘(そんな言葉はありませんが)です。


秋は摘果の季節。摘果とは、より良い実を育てるために、幼果を間引く作業です。私ときたら、実家の経済も考えず、本番のみかん採りをラクにするために、ひたすら摘果しまくります。他の作業はタラタラしているくせに、摘果だけはものすごい勢いでやるものだから、シェフ金子に「すっげーな、その速さ!」と感心されたものです。


そのうち父から「チーコが摘果すると何も残らなくなるから、おみゃー(お前)はやらなくていい!」とお役御免になってしまいました。仕方がないから脚立(高い位置のみかんを採るためのもの)に登って富士山を眺めながらお茶を飲み、大好物のおせんべいをかじっておりました。自分でもあきれるほどのドラ娘です。


我々三姉妹は誰も家業を継ぐことなく、それぞれ独立しました。昨年、父が亡くなり、我々三姉妹の希望で母にのんびりして欲しくて、柑橘業をたたんでもらいました。しかし、働き者の我が母親、娘たちや親戚一同にあげたい一心で、ほんの少しだけ、自らできる範囲で柑橘類作りを続けております。



サンルスーで大量に使うレモンは、1年のうち2ヶ月くらいを除いて実家の裏山からやってきます。この時期になると続々と届く柑橘類を使って作る「沼津産いろいろ柑橘のジュレ」。私から見ると小さい頃から見飽きた、珍しくも何ともない柑橘類なのですが、メニューに登場すると、皆様ここぞとばかりにご注文くださいます。


シェフ金子いわく「柑橘類のフレッシュ感を消さないように気をつけてる」んだそう。我が母、ますます張り切っております。やめとけばいいのに、シェフ金子に調理の指南などもしてしまいます。


母「金子ちゃんこれ、シャーペット(シャーベットのこと)にするとうみゃー(旨い)よ」

シェフ金子「あ、そうですね。そうします」

全く良くできたおムコさんです。

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