ビストロ サン ル スーの始まり(前編)

1990年代初めに修業先のフランスから帰ってきたシェフ金子が最初にしたことは、お世話になった同業の方や知り合いへの挨拶回りでした。


するとほとんどの方から異口同音に「あれ! 金子さん、まだフレンチやってたの?」「金子くん、フレンチ、全然ダメだね〜」などと言われたものでした。


バブルが崩壊し、フランス料理は驚くほど下火に。実際、フランス修業中にも料理人仲間から「金子さん、今、日本に帰ってこない方がいいよ」と言われていました。代わって台頭したイタリア料理はとても勢いがあり、この時期、たくさんのフランス料理の料理人がイタリア料理に転向しました。


私なんて根が暗いものだから、どっぷりと落ち込んだものでしたが、能天気なシェフ金子は全然平気です。


「なんとも思わないの?」と聞くと「時代によって流行りってあるんだよ。でもフランスもフランス料理もなくならない」と実にシンプルな答え。「それもそうだな」と気を取り直したものです。



我々がフランスに行く前には「保証金何千万、家賃一坪何万円」、我々のような一文無しには店を持つなんて夢のまた夢、という状況でしたが、日本に帰ると世の中もだいぶ変わっていました。


帰国後しばらくすると、周囲で我々と同じような状況の料理人たちが、自らのお店を持ち始めました。バブル崩壊で逆に、お店を持てるチャンスが生まれたのです。


ある時、友人に連れていってもらったお店で「俺、50万円しか持ってなかったから、全部自分で手作りした」と言って、なんとも雰囲気のあるお店を楽しそうにやってらっしゃる方に会いました。それを見て我々、完全にスイッチが入ってしまいました。


我々はその時、その3倍のお金を持っていたのです。「ねえ、150万円あるから、私たちでもお店、できるんじゃない?」……全くもって単純で、若気の至りの怖いもの知らずです。


不思議なもので、「店を持つ!」と志を決めると、いろんなものが自分たちに寄ってきて、遥か遠くの夢に思えたものが現実になる、ということもわかりました。


我々、性格的にも財力的にも、華やかでリスクの高い都心にはどうも向いていないのがわかっていたので、かつて住んでいた杉並区あたりを漠然と候補として考え、中央線の中野から吉祥寺まで100件以上の物件を見ました。


「ちょっとだけ駅から離れていて、家賃の安いところ」を探しまくる日々。何件見ても「ここ!」と決めないので、最後は不動産屋さんに「本当にやる気あるんですか?」と見放されてしまいました。


最終的に決めたのは、全く縁もゆかりもなかった西荻窪です。駅からちょっとどころか、徒歩15分もかかるところで、もう何年も空いていたボロボロの物件でした。


でも、100件以上の物件を見た実績(!)を誇る我々、なぜかここにピン!ときてしまいました。いちばんの決め手は家賃の安さです。


「ここに決めます!」と、新たに出会った不動産屋さんに言うと「本気ですか?」と驚かれました。


我々が最も苦手とする、お役所関係の諸手続きをなんとか無事に済ませ、晴れて契約が完了。意気揚々と大家さんへ挨拶に伺ったところ、高齢のご婦人の大家さんが「若い人たちが失敗するのを見るのは辛い」と涙を浮かべていらっしゃいました。まさかの言葉に、何事が起こったのかとびっくりしました。


「ねえ、なんか雰囲気、マイナスだらけじゃない?」と言う私に「大丈夫、今が底だったらあとは上がるだけだよ」とポジティブ思考のシェフ金子。「それもそうだな」と妙に納得して、27年前の6月18日、サン ル スーはオープンの運びとなりました。(後編に続く)

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