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ビストロ サン ル スーの始まり(後編)

1995年6月18日、我々はサン ル スーをオープンしました。


当時はバブル崩壊後で日本に元気がない時代。我々は一文無しどころか、マイナスの借金だらけの身です。そして当時、中央線の新宿から西は「フレンチの不毛地帯」と言われていました。


自慢にも何もならないけど、シェフ金子は全くの無名料理人。誰も知らないし、誰からも期待されていません。ただ一つだけはっきりと言えるのは「作るのも食べるのも、根っからのフランス料理大好き人間」ということだけでした。


ある人には「西荻窪でフランス料理は無理だ」と言われました。でも、そういう八方塞がりの悪条件、我々なぜか嫌いではありません。誰でもない料理人が、普通ならやらない悪条件の立地で店を開く。気負いなど何もないそんな気楽さが、のんびり屋の我々の性分に、なんとなく合っていたのです。

極楽トンボのシェフ金子は何も考えていないようでしたが、私には私なりの算段がありました。「失敗したら、二人で死にもの狂いで10年どこかで働いて返せるお金」を借金の上限にしました。そのために苦労(!)して家賃の安い物件を探し出したのです。


プレッシャーがないせいか、ヒマな日が続いても慌てることなく、お気楽に過ごしていました。しかし「いくら何でもこれはマズいな」と思ったのは、その日の売り上げが5000円しかないのに、終電もなくなって帰りのタクシー代が3600円だったとき。


のんきな我々もさすがに慌てて、当時住んでいた練馬区から2週間後には西荻窪に引っ越しました。全く万事がいきあたりばったりです。


西荻窪でワインバーをやっていらっしゃる商売の先輩から「店を持って5年保てば大丈夫だ」と言われていたので「とりあえず、5年は頑張ってみようか!」と考えておりましたが、ハッと気づけば27年経っていました。


店を持ってだいぶ経ってから知らされたことですが、オープンの際、いろいろと助けてくれたシェフ金子の料理人仲間が「金子さん、あの場所はマズいよ」と皆で心配してくれていたとのことでした。それを聞いたとき「そう思ったんだったら、そのとき言ってくれないかな」と思ったものです。


こんな我々が27年、店を続けられたのは、まるでテレビ番組の題名みたいですが、ひとえにお客様のおかげです。


どこの誰ともわからない、得体の知れない不器用な料理人夫婦を温かく受け入れ、辛抱強く見守ってくださったお客様の懐の深さです。西荻窪という地を愛する人々には、不思議とそういう独特の包容力があるように感じています。


サン ル スーは、お客様に育ててもらいました。おそらく西荻窪でなかったら、我々は27年も店を続けることはできなかったと思っています。


1998年、料理雑誌の取材記事より

お店を持つのはそれこそ清水の舞台から飛び降りるような覚悟がいるし、慣れない手続きや、今まで見たことのないお金が必要だったりと本当に大変です。


でも27年経ってみてつくづく思うのは、何が大変って言ったら「続けること」です。今思えば「続けること」に比べると、店を持つことは、言い方は乱暴ですがチョロいもの、ということもわかりました。


お客様商売は喜びもあれば凹むこともあります。時代の流れや流行りもあるし、自ら貫いてモチベーションを維持することがいかに大変か、と深く感じています。


長年、飲食店を営んでいたシェフ金子の父が生前、我々が帰省するたびに言っていた言葉があります。


「商いは飽きない。商売っていうのは読んで字のごとく、飽きずに続けることだよ」


最初の頃は「またお説教が始まった」と二人で顔を見合わせたものでしたが、今となってはしみじみとありがたく、その言葉の意味を受け止めています。

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